まず1番に変化を感じたのはお母さんとの会話のやり取りでした。
受講前は私が素っ気ない態度だったため、
お母さんは毎回 私の様子を伺いながら話かけていました。 私に合わせていたのでひと言で終わるような話で、 私は目を合わせずに「ぁあ」と低い小さい声で答えるだけでした。
お母さんは毎回 私の様子を伺いながら話かけていました。
十数年そんなやり取りをだったのが
受講後のお母さんとの初めての会話では
私はお母さんの方を向いて、お母さんの顔、 お母さんの目を見て話を聞けるようになっていました。 いつも言っていますが、本当に自然に。
受講後のお母さんとの初めての会話では
私はお母さんの方を向いて、お母さんの顔、
しっかりと返事するには少し時間が掛かりましたが
「ぁあ」
本当に不思議でした。
そして今でも驚きますが、しっかり目を合わせて話したのも
十数年ぶりだったのです。
私はずっとずっと
お母さんの目を怖いと思ってたし
お母さんは3姉妹の中で私のことを一番好きではないと思っていた し
お母さんは3姉妹の中で私のことを一番好きではないと思っていた
お母さんは私のことをこんな風に育てたつもりはないと思っている と思っていたし
お母さんは家事をしないと思っていたし
お母さんは家族より宗教の方が大事と思っていたし
お母さんは家事をしないと思っていたし
お母さんは家族より宗教の方が大事と思っていたし
お母さんは私のことを見捨てていると思っていたし…
目を合わせた瞬間にそれらが全部「自分の勘違いだった」 と気が付きました。
お母さん、本当にごめんなさい。
お母さん、本当にごめんなさい。
その時私を見ているお母さんの目はとても優しくて
ずっと怖いと思っていた目はどこにも存在していませんでした。
それからおしゃべりなお母さんはどんどん話しかけてくるようにな り、今では頻繁にLINEをするようにもなりました。
自分がどれだけ「目に見えるもの」 だけで勝手に判断してしまっていたのか。
そのときのお母さんの優しい目から受け取った「目に見えない」 愛は確かに存在するものでした。
それからおしゃべりなお母さんはどんどん話しかけてくるようにな
自分がどれだけ「目に見えるもの」
そのときのお母さんの優しい目から受け取った「目に見えない」
ずっとずっと自分が勘違いしていて
ずっとずっと自分がそう思っていただけ。
ずっとずっと自分がそう思っていただけ。
そしてその自分が正しいと信じ込んでいた。
その「正しいと思っている勘違い」 に去年までずっと何も気が付かなかった。
お母さんはずっと私のことを愛してくれていました。
講座中に感じた愛も確かなものでした。
その「正しいと思っている勘違い」
お母さんはずっと私のことを愛してくれていました。
講座中に感じた愛も確かなものでした。
その後も私は実家へ帰っては変化を確認していきました。
それについてはまた書こうと思います。
それについてはまた書こうと思います。
…最後に
多くの人は目に見えないものを信じません。
つづく